総評
出題者から皆様へ
英語の学習法について:
第28回の斉木英語検定の総評でも述べたことですが、最近の応募利用者の広がりの中で気づくことの一つは、英語の学習法が60年以上も前に私が学んだ基本的な学習法と同じであるという驚きの事実です。
戦後のある年に英語の先生がいない(当時は英語の先生が不足していたのです)ということで、その1年間は何と国語の先生が指導し、それがその時代には現実に通用していたのです。
国語の学習法と英語の学習法は言語や文化が異なっているために同一に教えることなどできません。しかし、それができたのです。なぜでしょうか?
話を現代に戻しますが、今も当時と同じ教え方なのです、基本的には。もう少し、恐ろしいことを明らかにしましょう。最近のglobal化によって大学入試の中に推薦入試やAO入試が加わってきているのですが、その中の入試科目に「小論文」があるのをご存じだと思います。小論文は"Short essay"といって、その書き方や段落構成が異文化である英文と一致している、いわゆる欧米文化の産物なのです。
ところが、教育の中で一般的にどのような人が「小論文」を指導しているかご存じでしょうか?上記したように、ほとんど例外なく国語の先生なのです。それが不思議なことに日本の大学入試に有効だというのです。「作文」と「小論文」は形式的にも、むろん記述内容の視点も全く異なるものなのです。
** 私はかつて高校の使用教材で、各出版社の「小論文」を数十冊(恐らく当時日本にあるすべての教材に近い部数だと思います)に目を通したことがあります。結論だけを言いますと、すべて「作文の書き方、もしくはそれに類似した小論文の偽物」だということです。1冊として「小論文」の書き方の解説書はありませんでした。
つまり、われわれ日本人は根本的に”異文化”の本質を理解していない、ある意味「立派なガラパゴス文化の住人」でもあることを少しだけでも知ることができれば、英語の学習法についても基礎から徹底的に鍛え直そうという気持ちが沸々として湧いてくるのではないでしょうか?
皆さんの謙虚にして骨っ節のある学習姿勢を大いに期待しています。
以上。
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今回の解説は、次の構造と訳出法についてです。
第1段落の"Bipartisan talks on extricating Britain from the European Union collapsed on Friday, when the opposition Labour Party pulled out, ending the latest attempt to salvage~."
講評・解説ページを参照してください。