総評
出題者から皆様へ
今回から数回に別けて私の英文読解理論である「でんしゃ理論」の捉え方を少しばかりアドバイスしようと思います。
というのは、拙著「実践から学ぶ英語翻訳法」の購読者が昨今増えていること、しかもその内容がやや難しいということもあって、その読み方の視点を明らかにした方がいいのではないかと思ったからです。
さて、私がこのコンテストの中で非常に多くの答案を採点や添削して思うことは、「翻訳できないことの共通点」を基本的に全員が共有しているということです。つまり、英文を構造的に、言い換えると立体的な構造物として捉えていない現実があるのです。
つまり、日本人がすべて一人の人物(同一人物)であるかのように、またエジプトのファラオの墓地の壁画のように、さらには襖絵や浮世絵などの日本画のように「平面的に捉える点」です。まるでジグソーパズルで繊細なモナリザを作るかのように膨大な時間と努力と、さらに大金まで投入して英文の一つ一つの単語の意味だけに集中する、こだわるのです。
その姿を見ると、ある意味超オタッキィー、超変態、病的症状、全く理解できない恐ろしい怪物が如きもの、そして最後に哀れさえ感じさせます。
このような平面的な読解法、というよりも平面的思考法は、言うまでもなく日本の教育法である「暗記詰め込み」から発しているので、英語に接してもパズルのように①単語(赤尾の豆単、ターゲット、システム)や②熟語や語句(桐原の即戦ゼミ)や③構文(書名は何?)ー以上を3種の神器と呼んでいるーを英文に当てはめ、そして少々の誤差は無視して平面的に意味を読み解こうとするのです。
日英翻訳(学校では英作文と呼ぶ)も同様の方式で指導するために、教師も生徒も実際的には英語の作文はできませんし、事実英作文という名前の講座があっても、その実態は単語と語句と構文を当てはめるいわゆる英文法の作業なのです。
この悲しくも哀れな現実は、文科省の下にある北海道から沖縄まですべての教育機関に共通した現象です。
そこで、この現象を打破する理論が「でんしゃ理論」というわけです。英文は構造と機能の両面から分析しなければなりません。しかし、この「でんしゃ理論」は構造に視点を向けた理論なのです。なぜなら、この視点からの研究はこれまで見たことがないし、かつあまりにも重要な視点だと私は考えるからです(手前味噌?)。
この構造論的捉え方は、言うまでもなく英単語の内包する機能的な性質から独立しているものではなく有機的に繋がっているのです。ですから、構造論と機能論は同時に学習する必要があり、別々に学習することはできません。
従って、「でんしゃ理論」はこの構造論の分野の表題であり、この理論を中心にして機能論を学んでいくわけです。
次回は構造論と機能論の「有機的な繋がり」について触れましょう。
以上です。