英日翻訳コンテスト

The New York Times Apr. 23, 2014
見出し

On Whiteboards, in Black Ink, Grim Descriptions of Those Lost as Ferry Sank

本文 No. 150, a boy, had a snaggletooth. No. 111, a girl, was wearing pink slippers, and an elastic hairband on her right wrist. No. 87 had on pajama pants with teddy bears.

No. 93 was clutching a Roman Catholic rosary in her left hand.

The descriptions, some rendered in forensic detail, are the only proof that many parents of the teenagers who died on South Korea’s doomed ferry have of their children’s fate. As bodies are recovered from the sunken ship, they are carried to shore and the process of identifying them begins — starting with the descriptions written on whiteboards in a tent set up for the grieving relatives of the students and other victims.

総評

出題者から皆様へ

この度の添削を通じてわかったことを一つ取り上げましょう。

それは、英語の理解を日本語の理解を前提として捉えているということです。
それはどういうことかと言うと、英文を日本語の理解に基づいて分析しようとしているということです。つまり、英文も日本文もそれぞれの単語から作られているので、それらの単語の意味を的確につなげれば英文も日本文同様に理解できるいう考え方、捉え方の前提が多くの読者の頭の中にあるようです。

これは大きな間違いです。

なぜなら、英語と日本語ではその構造が根本的に異なっているからです。
具体的な間違いの一つを示しますと、英文の構造は科学的ですから、「短縮や省略」が読者に一目して分かることが翻訳する場合の前提となります。ところが、これらは基本的に目に見える形をとっていませんので、日本人にはそもそもそれらの「短縮語句や省略語句」が存在しないものだと理解しがちになるのです。

そのために、とんでもない誤った訳出が生まれてくるわけで、この問題は暗記詰め込みの日本の受験教育にも関係している重大な弊害です。

その意味で、次のような結論になるのです。日本の英語教育は日本語教育の延長線上にあって、いくら勉強しても欧米文化との橋渡しができない悲しい現実にあるということです。

従って、英文の「構造的特徴」(これは日本の英文法と根本的には大いに異なりますー「でんしゃ理論」)を知ることこそが翻訳学習の主たる目的となると思っているのです。

頑張ってください。

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